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アトミックな分散トランザクションの追求という夢と終焉:マイクロサービス時代が創造した最終的一貫性と補償トランザクションパターン

Tags: 分散トランザクション, マイクロサービス, Sagaパターン, 最終的一貫性, アーキテクチャ, XA, 2PC, CAP定理

複数のシステムにまたがる操作の難しさ

エンタープライズシステムにおいて、複数の異なるデータストアや外部サービスにまたがる一連の操作全体として、整合性を厳密に保証する必要が生じることは少なくありません。例えば、ある口座から別の口座への送金処理では、「送金元からの引き落とし」と「送金先への入金」という二つの操作が、両方とも成功するか、あるいは両方とも失敗するかのどちらかである必要があります。片方だけが成功し、もう片方が失敗するという中間状態は許容されません。

単一のデータベース内であれば、ACID特性(Atomicity, Consistency, Isolation, Durability)を持つローカルトランザクションによってこの整合性は容易に保証されます。しかし、操作対象が複数の独立したシステムに分散している場合、この「全て成功するか全て失敗するかのどちらか」というアトミック性を実現することは、非常に困難な課題となります。

このような課題を解決するために、過去にはアトミックな分散トランザクションを実現するための様々な技術やプロトコルが開発され、広く利用されました。しかし、現代のシステムアーキテクチャ、特にマイクロサービスの台頭とともに、これらの技術は徐々に利用されなくなり、「終焉」と言える状況を迎えています。その背景には、技術的な限界だけでなく、システム設計思想の変化が深く関わっています。

本稿では、かつてアトミックな分散トランザクションの実現が追求された時代から、なぜその技術が終焉を迎えるに至ったのか、そしてマイクロサービス時代において、整合性をどのように確保しているのか、その新しいアプローチである最終的一貫性と補償トランザクションパターン(Saga)について深く掘り下げて解説します。

アトミックな分散トランザクションの隆盛期:XAと2PC

複数のリソースマネージャー(データベース、メッセージキューなど)にまたがる操作のアトミック性を保証するための代表的な技術として、XA仕様(The Open Group Distributed Transaction Processing: The XA Specification)が挙げられます。XAは、トランザクションマネージャー(またはコーディネーター)とリソースマネージャー間でやり取りされるインターフェースを定義しており、これに基づいた実装が多くのデータベースやメッセージキュー、アプリケーションサーバーなどで提供されてきました。

XA仕様の背後にある主要なプロトコルの一つが、2フェーズコミット(2PC: Two-Phase Commit)プロトコルです。2PCは、トランザクションに関与する全てのリソースがコミットまたはロールバックに同意することを保証するための同期プロトコルです。その名の通り、準備フェーズ(Phase 1)とコミットフェーズ(Phase 2)の二つの段階を経て処理を進めます。

  1. 準備フェーズ (Prepare Phase):
    • トランザクションマネージャーは、参加する全てのリソースマネージャーに対し、トランザクションをコミットする準備ができているか(一時的なデータ変更を永続化可能か)を問い合わせます。
    • 各リソースマネージャーは、自身のローカルトランザクションを完了させ、永続化の準備ができた段階で、その旨をトランザクションマネージャーに報告します(Vote OK)。準備ができない場合はVote Abortを報告します。
  2. コミットフェーズ (Commit Phase):
    • トランザクションマネージャーは、全ての参加者からVote OKの応答を受け取った場合、全ての参加者に対しコミットを指示します。
    • 一つでもVote Abortの応答を受け取った場合、またはタイムアウトなどで応答が得られない場合、全ての参加者に対しロールバックを指示します。
    • 参加者は指示に従ってコミットまたはロールバックを実行し、トランザクションマネージャーに完了を報告します。

この2PCプロトコルは、理論上は分散環境におけるアトミック性を保証する強力な手段でした。J2EE/Java EEの世界では、JTA(Java Transaction API)がこのXA仕様を抽象化し、開発者は複数のJMSキューへのメッセージ送信とデータベースへのデータ書き込みを単一のトランザクションとして扱う、といったことが可能になりました。これは、厳格な整合性が求められるエンタープライズシステムにおいて、非常に魅力的な機能として多くのシステムで採用されました。

アトミックな分散トランザクションの終焉へ:高まる技術的・非技術的コスト

XAや2PCといったアトミックな分散トランザクション技術は、その理想とは裏腹に、いくつかの深刻な課題を抱えていました。これらの課題が、現代のシステムアーキテクチャとの不適合を生み出し、結果として終焉へと向かう大きな要因となりました。

技術的要因

非技術的要因

これらの要因が複合的に作用し、アトミックな分散トランザクション、特にXA/2PCに依存したシステム構築は、現代の要件や技術スタックとのミスマッチが顕著になり、「終焉」と言える状況に至ったのです。

マイクロサービス時代が創造した新しい整合性モデル:最終的一貫性とSagaパターン

アトミックな分散トランザクション技術が終焉を迎える一方で、複数のサービスにまたがる操作において何らかの整合性を確保する必要性は依然として存在します。マイクロサービスアーキテクチャにおいては、厳格なアトミック性の代わりに、多くの場合「最終的一貫性 (Eventual Consistency)」という考え方に基づいたアプローチが採用されます。

最終的一貫性とは、ある操作が行われた後、システム全体にその変更が即時に反映されるわけではないが、しばらく待つと全てのレプリカや関連するデータソースが最終的に同じ状態になる、という性質です。これは、CAP定理におけるConsistencyよりもAvailabilityとPartition Toleranceを優先した結果として受け入れられます。

では、最終的一貫性を許容しつつ、どのようにして複数のサービスにまたがるビジネスロジックの整合性を担保するのでしょうか。ここで登場するのが、補償トランザクション (Compensation Transaction) の考え方、そしてそれを実装する代表的なパターンであるSagaパターンです。

Sagaパターンは、分散トランザクションを、補償可能な複数のローカルトランザクションのシーケンスとして定義します。もしシーケンス中のいずれかのローカルトランザクションが失敗した場合、それまでに成功したローカルトランザクションを打ち消すための補償トランザクションを実行することで、システムを元の状態に戻したり、一貫性のある状態に遷移させたりします。

例として、マイクロサービスにおける「注文処理」を考えます。この処理は、以下のステップで構成されるとします。

  1. 在庫サービスのローカルトランザクション: 在庫を引き当てる。
  2. 支払いサービスのローカルトランザクション: 顧客から支払いを受け付ける。
  3. 配送サービスのローカルトランザクション: 配送を手配する。

もし支払い処理が失敗した場合、支払いサービスは支払い失敗を通知します。これを受けた注文サービス(または専用のSagaコーディネーター)は、既に成功していた在庫引き当てを打ち消すための補償トランザクション(在庫を元に戻す)を在庫サービスに対して実行します。配送手配が開始されていた場合も、それをキャンセルするための補償トランザクションを実行します。

Sagaパターンを実装する方式には、大きく分けて二つあります。

Sagaパターンは、厳密なアトミック性を犠牲にする代わりに、システム全体の可用性やスケーラビリティを向上させます。一時的に不整合な状態が発生する可能性はありますが、ビジネス要件としてそれが許容できる範囲であれば、マイクロサービスにおける分散トランザクションの現実的な解となります。

Saga以外にも、最終的一貫性を実現するためのパターンとして、データベースのトランザクションとメッセージ送信をアトミックに結合するOutboxパターンや、イベントソーシングを活用したパターンなどが存在します。これらの新しいアプローチは、現代の分散・疎結合システムにおいて、必要なレベルの整合性をより高い可用性とスケーラビリティで実現するために創造されました。

過去から現在、そして未来への教訓と示唆

アトミックな分散トランザクション技術の終焉と、最終的一貫性、Sagaパターンの創造という歴史から、経験豊富なソフトウェアエンジニアとしてどのような教訓や示唆を得られるでしょうか。

  1. 要件に応じた整合性レベルのトレードオフ: 過去の失敗は、「全ての状況で厳格なアトミック性が常に最良の選択肢であるとは限らない」という重要な教訓を与えてくれます。システム設計においては、ビジネス要件や利用シーンを深く理解し、どの程度の整合性レベルが必要で、そのためにどのようなトレードオフ(可用性、パフォーマンス、開発・運用コストなど)が発生するのかを慎重に評価する必要があります。CAP定理は、分散システム設計における基本的な考慮事項として常に念頭に置くべき概念です。
  2. 疎結合なアーキテクチャ設計の重要性: XA/2PCの課題の一つは、システム全体が密結合になる傾向があったことです。マイクロサービス時代の分散トランザクションアプローチは、各サービスが独立性を保ちつつ、イベントやメッセージングを介して非同期的に連携することで整合性を実現しようとします。これは、現代のシステムが変化に強く、スケーラブルであるために、疎結合性が極めて重要であることを改めて示しています。
  3. 失敗からの復旧戦略の設計: アトミックなトランザクションでは、システムが失敗しても自動的にロールバックされ、整合性が保たれることが理想でした。しかし、最終的一貫性モデルでは、操作の一部が成功し、後から失敗する可能性があります。そのため、Sagaパターンにおける補償トランザクションのように、失敗した場合にシステムをどのように復旧させ、整合性を回復させるかという戦略を、あらかじめ設計に組み込んでおくことが不可欠です。これは、障害発生を前提としたレジリエントなシステム設計の重要性を示しています。
  4. 技術トレンドとアーキテクチャ思想の関係性: アトミック分散トランザクションの終焉とマイクロサービスにおける新しいアプローチの台頭は、技術の進化が単に新しいツールやフレームワークが登場することだけでなく、システムをどう構築すべきかというアーキテクチャ思想や設計パラダイムの変化と密接に関わっていることを示しています。新しい技術やアーキテクチャを学ぶ際には、その背後にある思想や、それが解決しようとしている過去の課題を理解することが、深い洞察を得る鍵となります。
  5. 「銀の弾丸」は存在しない: アトミックな分散トランザクションは、一見すると分散システムにおける整合性の問題に対する「銀の弾丸」のように見えました。しかし、実際にはその実装と運用は非常に困難であり、多くのシステムで課題となりました。これは、特定の技術やパターンが万能ではなく、それぞれの技術には適用可能な範囲と限界があることを示唆しています。様々な技術やパターンを深く理解し、それぞれの長所と短所を見極める力が、複雑なシステムを設計する上で不可欠です。

まとめ

かつて、複数のシステムにまたがる操作の厳格なアトミック性を保証するために、XA仕様に基づいた2フェーズコミットなどのアトミックな分散トランザクション技術が追求されました。これらの技術は特定の時代のエンタープライズシステムにおいて重要な役割を果たしましたが、技術的な限界(ブロッキング、SPOF、複雑な回復処理、スケーラビリティの問題)や、アーキテクチャのトレンド変化(モノリシックからマイクロサービスへ)、設計思想の変化(ACIDからBASEへ)、新しい技術スタックの台頭といった複合的な要因により、現代の要求には適合しなくなり、事実上の終焉を迎えました。

しかし、この終焉は技術開発の終わりではなく、新しい創造への始まりでした。マイクロサービス時代において、厳格なアトミック性の代わりに最終的一貫性が現実的な整合性モデルとして広く受け入れられ、その実現のためにSagaパターンをはじめとする様々な補償トランザクションに基づくアプローチが生まれました。これらの新しいパターンは、システムの可用性、スケーラビリティ、疎結合性を維持しつつ、ビジネス要件に応じた整合性を確保する手段を提供しています。

この歴史は、ソフトウェア開発において技術の進化はアーキテクチャ思想やビジネス要件の変化と不可分であることを示しています。過去の技術がなぜ生まれ、なぜ終焉を迎えたのかを深く分析することで、現代の技術選択やシステム設計、さらには将来の技術トレンドを見極める上での貴重な示唆を得ることができるでしょう。厳格な一貫性の追求がもたらした困難を理解することは、分散システム設計におけるトレードオフの重要性を再認識させ、よりレジリエントでスケーラブルなシステム構築への道を指し示してくれます。